五倫の理論(孔子の道徳理論)とは?

 紀元前300年頃(中国戦国時代)の儒学者孟子は人が守るべき五つの道徳は、「父子の親」、「君臣の義(親子の義)」、「夫婦の別」、「長幼の序」

朋友の信」であるとし、これを「五倫」と名付けました。

 

人は目上の者に対し、どのような姿勢でいるべきか?「調和の取れた人間関係を保つための理論です。

 

この考え方のもとは孔子が作ったものです。しかし孔子が作ったものは「君子」が統治をしていた時代に作られたもので、今の時代にはそぐいませんが、基本的な考え方は同じです。

 

私たち人間が調和をもって暮らしてゆくためには、「職場」「家庭」などのあらゆる人間関係において「五倫」という徳目を欠かすことはできません。

 

「五倫による人間関係」のルールは「五行の法則」と同じ性質を持ち、調和とバランスが必要です。「兄弟のような親子関係」、「友達のような夫婦関係」といった誤った人間関係はエネルギーの調和を乱し、人間関係の崩壊を起こしてしまいます。

 

一件当たり前のように感じますが、今の日本では、このような当たり前のことすら行われなくなり、「育児放棄」や、「子が親を殺す」、「友人を騙す」といった倫理道徳を失った事件が毎日報道されてしまうほど、世の中は乱れてしまいました。

 

我々は何故このような乱れた世の中になったかを見直し、正しい道徳教育を広めることで、日本の道徳観と人間関係、そして社会を正しい方向へと導く必要があるのです。

 

これらの道徳教育の乱れた原因は、戦後日本の力を恐れた「GHQの政策」によって戦略的に教育をゆがめられた結果、日本が道徳教育を失ってしまったからだといわれており、その政策を行ったのが日教組であるといわれています。

 

私たちは日本の未来のために、本来の道徳教育を取り戻し、誰もが助け合い幸福な人間関係を持ったかつての素晴らしい日本を取り戻す必要があるのです。

五倫関係には五つの人間関係それぞれに必要な徳目があります。

「子と親の関係」「親と子女との関係」「兄弟関係」「夫婦関係」「友人関係」のかんけいがあり、それぞれの徳目は「仁」「義」「礼」「智」「信」です。

 

 

歯友會セミナーでは、どのような「相手に対してどのような徳目をもって対応することで、エネルギーのバランスがとれるのか?」について解説いたします。

 

 

「子の親へ関係」に必要な徳目「仁」とは?

親に対しては子は「仁(おもいやり、親を慈しむ)」行いと、心を持ちと「孝(親の言うことを聞き、助ける)」気持ちを持つことが必要です。

 

「仁」とは「親愛の情」であり、「親しみ」「優しさ」「思いやり」「情け深くある」という意味です。子は親に対し「仁」の心をもった「慈しみ」と深い「孝(親孝行)」の思いを持った関係作ることが必要です。

「親と子女の関係」に必要な徳目「義」とは?

 

 

「子女の関係」に必要な徳目は「義」です。「義」とは「筋が通って正しく」「打算や損得なしに正しい行いをすること」を意味します。つまり「親は子に対し打算なく無償の愛を与える」ことを意味しています。

このような子に対する親の徳目が実践されれば日本に素晴らしい未来が訪れることでしょう。

「夫婦関係」に必要な徳目「智」とは?

「夫婦関係」に必要な徳目は「智」です。「智」とは「智慧のある賢いこと」、夫婦においてはお互いにその役割を理解し、「賢く本質を見通すこと」を意味します。「夫婦関係」においてはお互いを「敬う心」、相手を裏切らない「忠の心」が必要です。

今日のように当たり前に「不倫」を行うような「夫婦関係」「智」の関係を失った非道徳的な関係であり、「良好な夫婦関係」を保つことはできません。お互いにこのような関係をあらため「智」の徳目を持った関係が必要です。

兄弟関係に必要な徳目「禮」とは?

「兄弟関係」に必要な徳目は礼です。

「禮」とは、相手に敬意を払い、それを行動としてそのに示すことであり、人の文行うべき規範です。

 

年下の兄弟姉妹は年長者に従順でなければなりませんし、年上の兄弟姉妹は年少者の面倒を見なければなりません。

 

兄弟関係には「順(生まれだ順序)」があります。生まれた順に従う必要があるのです。

 

また兄弟には「悌」という文字に表されるように出生の順番の遅い弟が兄に対して常に「従う」姿勢を持つ必要があります。

「友人関係」に必要な徳目「信」とは?

「友人関係」に必要な徳目は「信」です。

 

「信」とはお互いにうそをつかず。また、相手の言葉を信じて疑わないことです。

 

また「友人関係」では「勇(勇気)」が必要です。この「勇」とは友の間違っていることを敢えて指摘する勇気のことです。

 

さらに「恕」の心、つまりたとえ相手が本心から過ち犯したとしても、その過ちを認めたなら、許す気持ちを持つことです。